強迫観念

4/1からサマータイムが始まって、今までUTC±0だったのが UTC+1になった。
存在はもちろん知っていたが、サマータイムって言うくらいだから7月くらいから始まるものだと勝手に思い込んでいた。
こちらの感覚としてはある日突然、今まで19時だった時間が20時になるのでその分明るさが継続され、日中の時間が長くなる。
日中ほとんど家に篭って勉強している身からするとあんまり変わらないというのが正直なところである。w
ロシアでは数年前に廃止されたらしく、コロコロと変わるような制度に対応しなければならないプログラム側は溜まったもんじゃないな、と思わざるを得ない・・・。

てか日本でもサマータイムって昔導入されてたんだ・・・知らなかった。 ja.wikipedia.org
施行からたった3年、1952年にサンマータイム法、廃止されてるけど。


自分は小学生の頃、ケアレスミスを多発するタイプの子供だった。
そのことで定期テストの度に母に怒られていた気がする。
今でも昔の名残が染み付いているなと自分でもたまに思うが、要所要所でアンテナを立てておかないと色々間違える。
昔子供の頃、この問題を解決しようと努力してきた。
具体的には何度も何度も時間の限り反復チェックを繰り返す、といった普通のことをしただけだったと思う。
その結果、当然ながらミスの数は減った。
これ自体は素晴らしい結果で、過去の自分自身をある種の誇りに思っているが、気づけば徐々に無意識にミスすることに対して必要以上に恐れるようになった

もう何回もこんなことを書いている気がするが、この「過度な恐れ」は言語を学ぶ上での致命的な問題だと思う。
本来、他人とのコミュニケーション中にそれを心配する必要はないはずなのだ。
他人との会話はただのコミュニケーションであり、仕事ではない。 ましてや、語学学校で学んでいる生徒同士の場合は特に。

日本人はよく「英語が苦手だ」と言うが….
これはコミュニケーションを上手く取れないことを予期して、微妙な空気にならないように自分を守るための自己防衛手段として置いておく文句である、と思う。

別にこの発言をするなと言いたいわけではなく、相手に相対するときの心持ちをしっかり持つことが重要なのだろう、ということが言いたい。
語学学校に通うおそらくすべての生徒が自分自身の言語能力の弱みについて常に考えているだろう。当然だ。みんな学びたてなのだから。
だが海外からやってくる生徒は「Speaking・Listeningのスキルが苦手なんだよね・・」とは自分からは言わない。 そのことについて過度に不安がって口に出すことに大きな意味がないからだ。
それだったら自分の知っている単語を使って、あるいはボディランゲージを使って意思疎通を図ることのほうが重要だとみんな理解しているのだ。
自分の表現が相手にうまく伝わらなかったのなら、別の方法・表現を用いて改めて伝え直そうとすればいい。
テストではないのだから、何も一回で100%の成功を目指す必要はない。

・・・

と意識の高そうな文章を書いたは良いものの、正直に言えば自分にとって、過去からべっとりとこびり着いている「ミスしないこと」への強迫観念を打ち破ることは重要な、難しい課題であった。
というか今まさに打ち破ろうとしている途中である。
たとえば自分の場合は、相手とコミュニケーションする上で「正しい」英語を話そうとして、考えすぎて言葉が詰まることがよくあった。
今はもう打ち破れるように頭が柔らかくなってきている(つもり)なので、自分のミスを過度に心配することもなくなってきている。

たぶん留学に来ている多くの人がその罠にはまりやすいと思ったので、自分への再喚起の意も込めてこんな記事を書いてみた。