隣の芝生

最近あまりにも酷い写真が撮れたのでここで供養しておきたい。

2枚に共通しているのはピントが全くグラスに合っていないところではあり、大変に酷い。お前は一体何を撮っているのか。2枚目は盗撮と疑われても仕方がない。
そしてさらに1枚目はそもそもHeinekenのイカしたラベルが後ろを向いてしまっているし、2枚目では学習したのかそこはクリアできていたがそもそも飲みかけであり風情も何もあったものではない。
普段何かにつけて写真は撮るが、素晴らしき現代技術にかまけてかなり適当に撮っており、愛が篭っていないのでこういうことになる。
いやいや、シンプルに撮り直せよと思うかもしれないが、外にいる時はスマホ画面の反射で内容を隅々まで見る気にならないのと、毎回撮った写真をその場で見直さないし、そもそも写真が撮りたいのではなく1秒でも早くビールを身体に注入したいのであってですね。

・・・次からは気をつけます。


人間というのは困った生き物であり我儘な生き物なので、自分の状況と他人の状況を比較しがちである。自分のテンションが下がっている時は特に。

隣の芝生問題である。
個人的な感覚としては、どんなに自分が最高の状態にあったとしても、1週間もすれば何かしら今の自分にないものを求めようとする。全てにおいて完璧な状態など存在するはずがないのに、だ。
逆に言えば誰しも最高の状態を常に求めようとするのは当たり前の話なので、別にこれは不思議な話ではない。自分の状態に満足しきっていて他に何も求めないなんて、人間らしくないじゃない。

たとえば自分の場合であれば「日本に居ること」が良いなぁ、羨ましいなぁと映ることもいろんな場面で当然あるし、その逆で「海外に居ること」が素晴らしいことだよねと思われることも当然ある。
一面を切り取ればよく映るのは当然のことで、一面だけ切り取ってUpできるPlatform(InstagramでもXでも何でも良いのだが)だとこの側面が大幅に強化されて見える。・・・いやXはネガティブ寄りかもしれないけど。w

SNSといえば、アイルランドに来て驚いた?のはもう誰もFacebook使ってない
最初のやりとりで交換するのはInstagramかWhatspAppが基本だ。
日本でも海外でも見かけないとなると、今の時代にFacebookメインで使っている人って居るんだろうか。
思えばFacebookは自分もあんまりよく分からない使い方になっていた。
会社とか大学とか、自分の中でもわりかしPublicな (?) Formalな(?) 繋がりを維持するためのSNS、みたいな位置付けだろうか。
逆にInstagramとかXってPrivateなイメージが強い。 まぁそんなわけで、ずっと碌に使いもしなかったInstagramのアカウントを引っ張り出すこととなった。

あと最近またSNSの誤Postが話題になっていたけど、あれなんで起こるんだろうな。
サブ垢を持っているのは当然としても、公式垢とサブ垢を1つのスマホに混在させておくのがナンセンスと言わざるを得ないだろう。
そうでなかったとしたら、Webブラウザで他サービスを経由してX連携投稿するときに、以前ログインしていたときのセッションが残っていて意図せぬアカウントで投稿してしまった、とかがあり得るか。
いずれにせよマイナスのことを平気でサブ垢に投稿しようとするのは危機意識が欠如しているとしか言えないが。

閑話休題
日々の生活の中でいろいろあって意気消沈している時なんかは己が置かれている環境と、理想の環境とのGapに苦しんで、自分の環境って辛すぎる、と下に見てしまったりするわけだが、みんなそれぞれ自分の環境に少なかれ思うところはあるわけで、そこにマイナスになりすぎてもしょうがない。
むしろ理想を言えば、他の環境にはない良いポイントを見つけて誇るべきである。簡単ではないのは百も承知だけど。
あるいはSNSを辞めてしまうのも、強引な手法ではあるが良いと思う。日々そんなところでストレスを溜めてもしょうがないし。
意外とSNSくらいじゃないか?隣の芝生が気になるのって。それをバッサリ絶ってしまえばストレスの発生源が消えたりする気がする。
そもそも人によってはこういった内容が全然気にならない人もいるようだし、自分と他者とを比べがちかどうかというのは人によって異なるんだろう。

ちょっと何が言いたいのか迷走し始めてきた。
結局のところ下記のラストエンペラーの歌詞の通り、自分を誇れるやつが一番強いってことを言いたかったのかもしれない。

自分が自分であることを誇る そういうヤツが最後に残る
                   ラストエンペラー K Dub Shine